一般社団法人日本オーストラリアンフットボール協会
協会沿革
2014
日本代表サムライズが第5回International Cupに出場。参加18カ国中総合14位。 | |
湘南ポセイドンズがトップリーグ参戦。 | |
東京ベイサンズがトップリーグ2連覇。 |
2013
東京ベイサンズがトップリーグ参戦。 | |
東京ベイサンズがトップリーグ初優勝。 |
2012
R246ライオンズがトップリーグ参戦。 | |
東京ゴアナーズがトップリーグ優勝 |
2011
日本代表サムライズが第4回International Cup に出場。参加18カ国中12位。 | |
大阪ディンゴーズがトップリーグ初優勝 | |
一般社団法人格を取得。正式名称を一般社団法人日本オーストラリアンフットボール協会、略称をAFL Japanとする。 |
2010
東京ゴアナーズがトップリーグ5連覇 | |
宮坂氏が会長に就任 | |
学生サムライズによる中国遠征。上海レッドデーモンズに勝利 |
2009
東京ゴアナーズがトップリーグ4連覇 | |
山本氏が会長に就任 | |
新たに名古屋レッドバックスを迎え、7チーム体制でのトップリーグが始まる。 |
2008
東京ゴアナーズがトップリーグ3連覇 | |
東京レパーズが学生カップ優勝 | |
日本代表サムライズが第3回AFL International Cupに出場。参加16か国中8位 |
2007
大阪ディンゴーズがトップリーグに参戦し、6チームでのリーグ戦が始まる。 | |
東京ゴアナーズがトップリーグ2連覇。 | |
専修パワーズが大学カップ2連覇 |
2006
国内リーグの名称をトップリーグと定める。優勝は東京ゴアナーズ。 大学カップを開催。優勝は専修パワーズ。 |
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学生サムライズを解体し、駒沢マグパイズ、専修パワーズ、東京レパーズが国内リーグに参戦。 東京ゴアナーズ、ゴーコンズを含めた、5チームでのリーグ戦が始まる。 |
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大学カップ優勝は専修パワーズ |
2005
駒沢マグパイズ、専修パワーズ、東京レパーズの3チームによる年間を通した大学リーグ戦が行われる。優勝は専修パワーズ | |
会長の山本氏が退き、新会長に宮坂氏が就任。 | |
国内リーグ優勝はサムライズ | |
日本代表サムライズが第2回AFL International Cupに出場。参加10カ国中総合9位。 | |
%b | Arafura Games 2005 にて総合2位、初の国際タイトルである銀メダルを獲得。 |
2004
国内リーグ優勝は東京ゴアナーズ | |
学生サムライズから派生したチーム、駒沢マグパイズ、専修パワーズ、東京レパーズが誕生 | |
JAFA前会長飯田氏が退き、JAFL会長に山本氏が就任。 | |
AFL(Australian Football League)の傘下に入る。 | |
日本語名称を日本オーストラリアンフットボール協会、英語名称をJAFL(Japan Australian Football League)へ改名。 | |
国内大学チームによるカップ戦を開催。優勝は東京レパーズ |
2002
AFL(Australian Football League)主催、第1回International Cupに日本代表サムライズが出場。参加11カ国総合10位。 |
2001
本国オーストラリア同様、グランドファイナル形式による優勝決定戦。年間を通した協会からのAwardなどを組織。 | |
大規模な組織改革により代表強化・普及を目的とし、東京にある3チームによる国内リーグが発足。 | |
%b | Arafura Games 2001 4位 |
1999
Tokyo Gannas(在日オーストラリア人チーム)、Tokyo Go-Kongs(社会人チーム)、Samurais(学生チーム)の3チームによる定期戦が開始。 | |
Arafura Games 1999 総合8位 |
1997
Arafura Games 1997 総合6位 |
1995
2年に1度、オーストラリアの都市Darwinで開催されるArafura Gamesに初参加。総合4位 |
1990
各大学にチームを持つスタイルから、全ての大学を一つにしたチーム Samurais が誕生 |
1989
%b | 4月、専修大学Bombers創部 |
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1988
在日豪州人チームTokyo Battlersとの定期試合が始まる。 日本オーストラリアンフットボール協会(Japan Australian Football Association:JAFA)が設立される。 9月、慶應Hawks、初豪州遠征。 VFLのファイナルシリーズの観戦、HawthornでのAllan Jeans氏によるトレーニングセッション、North Melbourneでのトレーニングセッション。最後にSunbury FCのU-18と練習試合(初の国際試合)を行う。 |
1987
25 %b |
Hawthorn vs Essendon 試合会場:横浜スタジアム 試合人数 :1チーム15人制+交代枠5人 グラウンド:人工芝 勝利チーム:Hawthorn 観客数:約13,000人 Produced by フジテレビジョン 前座試合として初の日本人オージーボールの試合 慶応大学Hawks vs 早稲田大学Bombers が組まれる 両大学のメンバーはフジテレビの支援を受けた合宿・試合を実施。 来日中のEssendonのPaul Salmonが臨時コーチを担当。 その際Essendonから本番の試合後、日本での練習や試合の発展を願いボールが寄付された。 |
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1986
03 %b |
TBS、テレビ朝日にて初めてオーストラリアンフットボールが紹介される。 11月3日(文化の日)、日本初のオーストラリアンフットボールの試合が開催される。 Hawthorn vs Carlton 会場:横浜スタジアム 試合人数 :1チーム15人制+交代枠5人 グラウンド:人工芝 勝利チーム:Hawthorn Best on Ground:Robert Dipperdomenico イベント主題歌:J-WALK 実況:古館伊知郎 解説:松尾雄治 Hawthorn/審判団通訳:飯田健夫(元JAFA会長) Produced by フジテレビジョン 総観客数:約25,000人 |
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